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2005年07月14日(木)
ZEVEXロシア 第5次調査



「名義人がいない自動車をロシア国内に持ち込むことはまかり成らん!!」
ってことで、保税倉庫に強制収用されるコッシー運転の松野号。
到着早々のトラブル発生でなかなか順調だ。(笑)

[アタック日誌]

「4x4」で「EV」で、「自然エネルギー(風車とソーラーパネル)から発電した電気」だけで、世界で初めて「凍った海を越えてサハリン島からユーラシア大陸」を目指そうとした05年02月の「間宮海峡アタック」。
サポートを依頼したスノーモービル業者とトラブルになり、ビザの日程を失ったことで氷結海上には乗り出したものの、「横断」という当初の目的を断念せざるを得なかった。

今回の第5次調査の目的は、陸路を使用したポギビまでの新規ルートの開拓と、2月にポギビの村民に預けて帰国した4WD電気自動車を回収すること。
端的に言えば、間宮海峡リベンジへの活動開始であり、マシン残置に関するサハリン税関との約束を果たす為であった。

今回調査隊としてサハリンへ向かったのは、アタック隊から輿石・西村・鈴木の3名と、「協力者募集」の公募に反応して頂いた数名の中から、諸条件を勘案して小笠原君に参加をお願いすることとなった。

北海道・留萌の手前で合流した3台のマシン(輿石J-53・鈴木ハイラックス・西村/小笠原プラド)は早朝には稚内に到着し、04年と同じように「アインス宗谷」に乗り込んだ。
04年と違ったのは、自賠責に当たるロシアの保険に加入が義務付けられたこと。
補償の範囲や免責金額なんかもさっぱり説明が無いままに、コルサコフ税関に着くと同時に別室に通されて保険金の支払となる。
概ね1〜2万円の間って感じだった。

さて、サハリンへの旅と言えばトラブルが付き物だが、今回のトラブルの幕開けはコッシーが運転する松野号ジープに対する「上陸不許可」の裁定だった。
出発前に関係諸方面に確認を取って、「問題無し」との話をもらっていたのだが、そこはロシア。
「名義人の居ない自動車は入国できませ〜ん!!」と言われて、後は何を言おうが「ニエット!!、駄目ダメ!!」の連発。
仕方が無いので「アインス宗谷」で稚内の港に戻してもらおうか?...などと相談している間に、半ば強引に「保税倉庫保管」って話になり、アーもウーも無くコルサコフ港から数100m離れた「保税倉庫」に収監されてしまった。
ハードな行程が予想されるポギビへのオフロードを前に、LSDに前後8274を搭載したJ-53を失って、チームとしての走破能力の低下は大きい。

いきなりのトラブル遭遇だが、別の意味「順調」と言えば「順調」なのかも知れない。



[アタック期間中に衛星電話で伝えられた速報]

2005/07/14 21:34JST
ホテル・モネロン@ユジノサハリンスク

今朝10時稚内発のアインス宗谷に乗り、午後3時(日本時間)にコルサコフ港に着岸。
その後...は順調(?)に遅れている(汗) その原因は輿石が松野氏から借り受けたジープ。
所有者不在の車両を持ち込めるか? これは、不安があったので前もって確認し、OKとの情報を得てはいたのだが、ロシアでは許されていなかった。
外国が相手だと、このような情報の混乱は珍しいことではない。
持ち込めないならそれはそれで仕方ない。
ジープを運転する予定の輿石はハイラックスに同乗することにした。
さて、入国できないジープをどうするか?
明日帰国するアインス宗谷に乗せ、稚内に預かってもらおう。
フェリー会社の方々とそんな段取りをしている間にコルサコフの保税倉庫に収容されてしまった。
さすがに税関の施設。厳重に施錠されるので、盗難やいたずらの心配はない。
はたして松野号ジープは、我々が帰国するまでコルサコフで待機となった次第。

明日は食料や、引っ張り系の資材などを購入する。 (O)


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