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2005年07月31日(日)
ZEVEXロシア 第5次調査



舞鶴港まで迎えに来て下さった谷口社長にARK-1をお返しする。
4ヶ月ほど遅くなったが約束通りARK-1を返却できて私(鈴木)も嬉しい。

[アタック日誌]

2週間以上に渡った「ZEVEXロシア 第5次調査」。
サブタイトル「ARK-1レスキューミッション2005」もいよいよ今日で最終日だ。
私(鈴木)とコッシーを乗せた新日本海フェリーは順調に南下を続けている。
思えば実に奇跡的なレスキューミッションだった。
ハイラックスの手配から始まって、マシンカスタム、メンバー募集、資金集め、関係諸方面への打診・根回し等々...
1ヶ月前はARK-1が有ることすら半分以上の隊員は期待していなかった。
ソーラーパネルやリチウムイオンだけでも残っていたらめっけもんだと、誰もが思っていた。
それがほぼ完璧な形でのサハリンからのEV4WDの回収が成功しようとしている。

これには上記に挙げた諸々の事前準備や、5回に渡るサハリンでの活動を通じて培った人脈に拠る部分が大きい。
けれども、それを踏まえた上で言わせて頂ければ、あの440kmの廃道を越え、3泊4日をかけて動かない電気自動車を、何とか「道路」まで引きずり出すことができたのは、長年に渡る「アイアン・バール」の活動で、常に4WDオフローディングの核心を見据えた実践的なトレーニングを積み重ねて来た成果に他ならないことを強調したい。

「厳冬期・間宮海峡アタック」は電気自動車マニアの意地だったが、今回のレスキューミッションは4WDオフローダーのプライドだ。
口先や、パソコンのキーボードを打つ指先だけで吠えているのではない。
我々は汗を流して泥を舐めながら走っているぞ!!
情熱あるオフローダー達よ、ZEVEXで共に走ろう。

ZEVEXは電気自動車4WDでは先端だが、4WDクロカンではド本流・まんまん中だ。
走らないヤツの言うことは何も信じない。
泥沼に這いつくばって吐く一言にこそ真実はある。

さて午後8時半、予定通りフェリーは舞鶴港に着岸。
3甲板に乗るジープとARK-1が先に下船する。
一旦下船して1甲板のハイラを徒歩で取りに行く。
この日の舞鶴は花火大会で道が混んでいる為か、谷口社長の到着までしばし待つ。
30分程してローダーに乗って谷口社長が到着。
ARK-1を積み、鍵と車検証をお渡しして、名実共にZEVEXの第1回の間宮アタックは幕を閉じた。



[アタック期間中に衛星電話で伝えられた速報]

2005/07/30 22:10
鈴木@滋賀県

昨夜から今日にかけての日本海は穏やかで、フェリーは順調に進み、定刻(20:30)より30分も早い20時少し前に舞鶴港に到着。20:15頃から下船が始まった。
まだ全て終わったわけではない、輿石はジープを松野さんへ戻すタスクが残っている。
鈴木もサハリンで横転したハイラックスを今夜のうちに修理工場へ運びたい。
クラッチトラブルをかかえた車と横転してポンコツになりかかっている車。
しばらくは道順が同じなので一緒に走ったが、それぞれの目的地へ向けて別れると心細い気もする。
むろん今回の調査で大きな成果が得られた充実感成果のほうが大きい。
調査の詳報は、いつものように後日報告する。


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この「速報」もやっと最終回を迎えることができました。
現地からで電話連絡ではその「熱い想い」を受け止められたのですが、文章にしてみると十分に表現できていませんでした。
それにも関わらず、半月以上の長い間おつきあいいただき、ありがとうございました。
鈴木さんからの詳報が待ち遠しい気持ちです。 (O)&(N)


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