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![]() トラブルは時間が無い時に限って起きるから不思議だ。 封切はジープの2度目のパンク。 こんな時でも、輪留めをしてハイリとパンタジャッキの2点支持で安全には万全を期す。 [アタック日誌] この日はこの旅一番の早出で、5時前に起床して5時半には出発した。 出発して早々コッシーのジープが2回目のパンク。 チューブは複数本有るが第2スペアタイヤは6.50しかない。 チューブを交換したいところだが、先を急ぐし速度も遅いことなので、暫くは小さいタイヤで行くことにする。 プラドは廃道の途中で1回パンクしているので、これでパンクしていないのはハイラックスだけになった。 もっともハイラは車体がペシャンコだが... 朝メシを食べて無かったので、マカロフの街でブランチ。 ロシア風バーべキューが美味だった。 更に南下した所でさしものGAZにもトラブルが発生。 リアデフのオイルシールがやられてフランジに蹴られたデフオイルが飛び散っている。 シールの予備が有るとのことだったので、大事を取って道端でシール交換。 ZEVEXチームは、この機にジープのチューブを交換してタイヤを7.50に戻す。 1時間以上掛かって修理完了。 ブズモーリエを過ぎて舗装路に出て一安心。 しかし、ジープを牽引したままなので南下のペースは相変わらずだった。 舗装路に入って走行音が静かになったことで、プラドのデフから異音がしていることに気が付いた。 リアデフだ。 が、スライディングハンマーも無いしゆっくりデフを分解している時間も無い。 一旦デフオイルだけ抜いてドレンボルトと穴から指が入る範囲を確認するが、大きな金属片などは出て来なかったので、オイルだけ戻して先を急ぐ。 ペチャンコのハイラックスに、ジープを牽引したリアデフの怪しいプラド。 オイル漏れが止まらないGAZ。 ...それでも何とかスケジュールに乗っているのは、ジャングル経験が多い私でも奇跡に近いと感じる。 5時前になっていよいよユジノの街が目前になって来た、ここでジープを切り離す。 廃道では自走不可能だったジープだが、厳密に言えば平坦な舗装路ならば、まだ数10kmは走れるハズ。 予定ではこの最後の数10kmで2度のフェリーの乗・下船時をしのぐ作戦だった、けれども運転が超乱暴なユジノ市内を牽引で走行するのはかなり危険なので、リスクを比較検討してユジノ〜コルサコフ間は自走で移動することとした。 午後6時半。 コルサコフの保税倉庫に到着。 電気自動車を降ろし、ペチャンコのハイラとジープも同じ倉庫に置いてプラドでユジノへ戻る。 プラドは翌日リアデフの修理をする為に倉庫には預けずにおいたのだ。 さて、残る大仕事は電気自動車の通関だ。 しかし、まあこれは税関局長から2月にレターを貰っているので何とかなるだろう。 [アタック期間中に衛星電話で伝えられた速報] 2005/07/24 20:30JST 調査隊@ユジノサハリンスク AM5時(サハリン時間)に起床してポロナイスクを出発。 行程は順調に進み、夕方までにはサハリン南部へ到着し、明日からは通関がある。 コルサコフに着いたのが18時(現地時刻)前。 なんとか間に合い、荷物は保税倉庫に預かってもらえることになった。 今回の第5次調査隊全4名。もちろん疲れは溜まっているが、だれもが元気なので安心して欲しい。 明日からの通関の実務。あらかじめ現地旅行社社長がアレンジして下さっているので、たぶん順調に進められるだろう。 現在地はホテル・モネロン。もうすっかりお馴染みさんになっている。その安心感もあって心が安らぐ。今までよりは安心して眠れそうだ。 (O) |