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2005年07月17日(日)
ZEVEXロシア 第5次調査



何時かは訪れたいと思っていた「バール村」を図らずも通過することになった。
ロシア語では「バウル」に近い発音だった。

[アタック日誌]

とにかく今回はハードな行程が予想されるので、少しでもスケジュールは「前倒し」で進めたい。
この日も5時半に起床し、出発準備を整え7時にはティモフスクを出発する。
ここから先はトヨタのB型に換装したGAZと同行になるので、アベレージが一気に下がることも早起きの理由のひとつだ。
昨日の関野吉晴チームとのバッティングで、いきなりの野宿を強いられ、暗くなってからの野営準備だったことで荷物の底に仕舞い込んだ装備類を満足に使えなかったこともあるが...。

コンボイの並び順はGAZ、プラド、ジープ、ハイラの順。
...だったが、砂埃で、余りにジープが可愛そうなので、プラドとジープを入れ替えた。
それでも対向に大型トラックが通ると1〜2分は無も見えなくなる。

11時ノグリキ着。
ガスを補給して、昨晩の予定外キャンプで消費してしまった分の食糧と水を購入する。
基本的にここノグリキから先での物資補給は不可能なので、命綱の燃料も4個の携行缶(総量90L)のガソリンと、軽油をドラム缶一個と携行缶2個の全てに満タンにする。

ノグリキの街を過ぎて暫く行くと「バール」という村が有る。
究極の4WDオフローダー育成を目指す競技会「IRON・BAR・CUP」を母体とするZEVEXの面々としては、取り合えず道路標識の前で記念写真の撮影。
日本で待つ仲間達へのお土産だ。
また何時かゆっくりと訪れたい街だった。

昼食を道路横の空き地で済ませ、可能な限り前進することを優先する。
GAZの足が思った以上に遅いので、スケジュールを1日前倒ししないと、コルサコフの通関でトラブった場合に対応が取れなくなってしまう。

が、ここへ来て大きな心配事が発生してしまった。
「公募」からアタック隊内の選考を経て参加した小笠原隊員が、直前の北海道オートバイツーリング時に負った足の負傷が悪化して腫れて来たのだ。
衛星電話でチームドクターに相談するも衛星の状態が悪く繋がらない。
こんな時に限って手持ちの薬品も少ない。

医者に診せる為にオハの街へ行くなら、ここネフチェゴルスクで曲がらずに北上する必要が有ったが、腫れ以外は元気なので、衛生を保つことを条件に廃道へとハンドルを切る。
廃道は幅は有るものの泥が重くて深い。
対向車を捕まえて情報を聞くと、30km程先に木材の集積場が有って、そこまではこんな道らしいがその先は知らないという。
「道」というか「森の隙間」は西海岸まで続いていると言うが、年に何度か国境警備隊の戦車が通るくらいで、使う人は居ないと言う話。

先行きに不安を感じながら、その木材集積所の手前の空き地でキャンプ。
夜間断続的に大粒の雨に襲われ、コッシーの荷物が水浸しになる。



[アタック期間中に衛星電話で伝えられた速報]

2005/07/17 20:19
調査隊@ネフチェゴルフスクの北付近

この時はたまたまコンディションの悪いところらしく電話が繋がって「聞こえますか」「はい聞こえます」とそれだけで切れてしまいその後、コンディションの良さそうなところに移動してくれたらしく、

21:21
今朝7時にティモフスクを出発し、今日も12時間移動して、現在位置はネフチェゴルフスクやや北、パイプライン沿いの道に入ったところでキャンプしている。
この地の気候は、日本の関東・東海・関西に喩えるならおおよそ4月上旬くらい。うかうかすると明け方は寒いくらいだ。とは言っても2〜3月に雪中ビバークしたのと比べればなんでもない。
それでも汗をかく。ましてやこの2日間はダートの移動。髪の毛は砂埃でジャリジャリになっている。思い返せば、昨夜のティモフスクは野営になりシャワーなどあるはずもない。もっとも予約していた宿舎に泊まれたとしてもどうせシャワー設備なんかなかったのだけれど(笑)
一昨夜のホテル・モネロンでもシャワーはなかった。その前の稚内にしても小樽でもシャワーなんか浴びてない。なんと(驚)最後にシャワー浴びたのは舞鶴から小樽に向かう新日本海フェリーの中だった。
その汗を嗅ぎつけか、蚊が寄って来る。日本ならそんな時期に蚊なんか全くいないのにサハリンにはやたらと多い。種類が違うのかもしれない。
さて。調査隊の行動。当初の計画と見比べれば若干の食い違いはあるものの、今のところは概ね順調に進んでいると言えるだろう、もちろんこの先にどんな難題が待ち受けているかわからない。気を引き締めて進めるつもりだ。 (O)


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