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2005年07月23日(土)
ZEVEXロシア 第5次調査



横転大破したハイラックス。
フロントに立て掛けて有るのは車種不明の乗用車のドアガラス。
これが無いと砂埃でコルサコフまではとても目が持たなかっただろう。

[アタック日誌]

前夜久々にビールで乾杯した為か、この日は寝坊してしまった。
8時20分に飛び起きて9時には出発。
まず、昨年の調査時に「渡り」を付けておいた消防署長さんにお願いして、消防署で洗車。
「出動になったら水は止めるからな」と言われていたので、火事が起こらないことを願いつつエンジンルームの中までタップリとこびり付いた泥を落とす。

2時間程洗ってキリが無いので終了。
良い時間なのでティモフスク市内で昼食を済ませて南下を開始する。

この日のコンボイも並び順は昨日と同じ。
違うのは追い抜く車が昨日より多いこと程度。
その分シンガリから追い抜き車の情報を無線で送る私(鈴木)は忙しい。
半分前を見て、半分は左のサイドミラーを見ているような状況だった。

南下を始めて1時間弱。
エライ勢いで追い付いてくるマシンが有って、その情報を無線で送った直後、ハイラックスのハンドルが突然右に取られた。
慌てて左に切り直すも時既に遅し。
ハイラックスは道を外れて側溝に捕まり、最後は横転して止まった。

コンボイはジープを牽引するプラドの速度で走っていたので、30〜40km/hというところ。
割れたサイドガラスで腕をちょっと切ったくらいで、大きな怪我も無く済んだのは幸いだった。
もっと奇跡的だったのはハイラックスが自走できたこと。
たまたま直後にユニックが通り掛かって道に戻してくれたので、プラグを抜いてファンと干渉したシュラウドをウインチで引いて戻して、オイルを飛ばして...。

エンジンを再起動して水温が上がって来ても漏れも無い様子なので、ハイラックスをプラドの前に入れて南下を再開した。
あの廃道を走破して、ここでくたばるわけには行かない。
何としても全車・全員で日本に帰るのだ。

...が、マシンは何とか動いても人間の方が問題だった。
フロントガラスを失ったので、とにかく目が痛い。
小笠原隊員からサングラスを借りるが、暗くなって来ると使えない。
さてどうしたもんだか?とちょっと早めの夕食を取りながら悩んでいるとGAZのドライバーが、どこかからヘンテコなガラスを持って来てくれた。
カフェの近くの知り合いの家で分けてもらって来たという。
ありがたい。
これで前が見える。

早速運転席の前に立て掛けてPPテープでガチガチに留める。
直後に夕立!!
弱り目に祟り目だが、本降りにならずに上がってくれた。

色々有って遅くなったが、20時過ぎに何とかポロナイスク到着。
明日は早朝発することに決めて、シャワーだけ浴びてこの日はさっさと寝る。



[アタック期間中に衛星電話で伝えられた速報]

2005/07/23 22:06JST
調査隊@ポロナイスク

一昨日伝え損ねていた出来事がある。
廃道の途中で松野号ジープにクラッチが焼けるトラブルが発生した。
まだ動かすことはできるが、コルサコフや稚内の港でのフェリーの乗り降りは自走したいので、クラッチを温存すべく、ハイラックスで牽引しながら移動することにした。

昨日は、キャンプを撤収しティモフスクに向けて出発した。
車両を牽引していつため速度が上がらず、ティモフスクまでがやたらと遠く感じられた。
到着したのは何時頃だったろうか? 夜遅くになってやっと到着。宿に泊まるのは久しぶりのことだ。

さて今朝。出発前に軽く洗車し、さあポロナイスクへ向けて出発だ。
ところが、ティモフスクを出ていくらも走らないうちのことだ。
路肩に足を取られ、ハイラックスを横転させ、フロントガラスを割ってしまった。 面目ない。
もちろんジープを牽引中だったのだが、共倒れしたわけではない。
牽引中なのであまり速度が出ていなかったことが幸いして、エンジンは問題なく動く。 もちろん怪我もない。
そんなこんなで、先ほどやっとポロナイスクに着いた。
明日は、一気にコルサコフの港まで行き、車を預けてしまいたいと思っている。 (O)


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