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2005年07月18日(月)
ZEVEXロシア 第5次調査



材木集積場の管理小屋には風車とソーラーパネルが有った。
この小屋を過ぎると西海岸まで道は徐々に細くなり最後は「道」というより「森の隙間」という様相を呈する。

[アタック日誌]

朝6時起床。
今日も早起きだ。
理想から言えば、何とか今日中にポギビに着いてスケジュールを1日前倒しにしたい。
ティモフスク〜コルサコフ間の移動が1日では不可能だと分かっているだけに、往路(今日・明日)か復路のどちらかで1日を稼ぎ出すしか無い。
キャンプ地を出発して、30分くらいで昨日話に聞いていた材木集積場を通過する。
この集積場には四方から道が集まっていて、我々の進むべき道がどれなのか一瞬迷う。
管理小屋で教えてもらおうと思うが生憎留守。
コンパスを出してほぼ真西に向いている道を選ぶ。

小屋を過ぎると道は徐々に細くなって行き、泥はますます深く重くなって行く。
タイヤの直径が1mを超えるGAZは、超ローギアドでスピードは出ないながらもそんな泥道を着実に進んで行く。
アップダウンをくり返しながら西へ西へと進んで行く道には、先頭を行くGAZ以外のトレッドパターンは無く、少なくともここ暫くは車が通った痕跡は無い。
タイヤのトレッドパターンは無いが、代わりにトナカイと熊の足跡はそこここに残っている。

この日のルートを大まかに説明すれば、山岳地帯の北限を横切る形で西に向かい西海岸に有る「ポスト15」と呼ばれている港を目指す。
「港」といってもパイプライン関係の資材を大陸から運んで来る為に最近作られた船着場で、まだ地図にも載っていない。
この船着場からポギビまでは物資の搬送ルートが有るので、後半はこのルートを辿ってポギビを目指す。
ユジノのオフィスで通行許可を取ったのはその通行許可だったのだ。

昼前になって、道はいよいよアップダウンの一番激しいエリアに突入する。
始めは何回かに1回だった登り切れないヒルクが5回に1回、3回に1回とその頻度を増して来る。
更に悪いことにこのエリアに進入した頃から土砂降りの雨となり、さしものGAZも時々ウインチングを強いられている。
が、我々がGAZに追い着けるのはこの瞬間だけで、ウインチングの頻度が圧倒的に多い為アベレージスピードはZEVEXチームの方が遅い。
GAZに比較して有利なのは、車重が軽いことで、細い木もウインチアンカーに使えることくらいだ。
廃道の左右は針葉樹が多く根が浅いので、見た目程アンカーとしての強度は期待できないのだ。
特にこのエリアは泥が7〜80センチの深さまで有るヒルクライムも少なくなかったので、貧弱なアンカーでは使い物にならなかった。

午後1時半。
道の脇に20フィートコンテナ程の狩小屋を発見したのでここで昼食。
昼食は時間を節約する為にカップラーメンだ。
カップラーメンをすすっていると猟師さんが入って来た。
この地区の狩猟免許を持っている猟師さんで、雨がヒドイので今日はこの小屋で泊まるつもりなのだと言う。
カップラーメンをお裾分けして、暖かい紅茶を入れている間に道の状況を教えてもらう。
海岸線までは、泥はもう少し深くなるが概ね同じ様な路面で「道」というか車の通る「隙間」は有るらしい。
ただ、西海岸に出る直前に渡河が数本有るのと、「ポスト15」の桟橋へは砂浜を走って少し南に下る必用が有って、波が高いと一部車での通過は危険らしい。
もちろん干潮時に通過する方がベターだとのこと。
「よく車でここまで来たな」と猟師さんに感心されてしまった。

午後3時。
既にGAZは遥か先だ。
マシンの負担を均等にする為先頭をハイラックスに交替する。
ハイラックスが進める所まで進み、ハイラをアンカーにジープを寄せ、連結したハイラとジープをアンカーにプラドが寄る...のくり返し。
結構ヘロヘロだ。
途中ストラップ1本とS管1個の回収を忘れる。

午後4時半。
西海岸に到着。
幸い潮は引いている。
GAZも揃って砂浜を数km南下すると、「桟橋」というか護岸を施した陸地が有ってバージが着岸している。
間宮海峡は水深が浅いので、この手の船しか航行できないのだろう。
桟橋の管理棟はお決まりのコンテナハウス。
ユジノで通行許可を取っていることを話すと、意外にもちゃんと連絡が届いているらしくすんなりと通してくれた。
もし途中でスタックしたら20km置きに管理小屋が有って、そこの無線で助けを呼べる...と教えてくれた。
助けに来るのは何と戦車らしい。
理由は「ブルより速いから」...とのこと。
もっともだ。

さてこの物資の搬送ルート、もう少しマシな道を想像していたが十分な悪路。
流石にウインチングの回数は減ったが、水溜りが多くて、いちいち降りてウェルダーを履いたコッシーが底の状況を確認するのを待つので相変わらずアベレージは上がらない。

GAZは手前で多少徐行するくらいてガンガン水溜りに突っ込んで行く。
彼らは泥水を透視できるのか!?東南アジアのジャングルで、下見を怠ってマシンを壊すドライバーを何人も見ているので、我々は絶対に「博打」は打たない。
確率が1%でも、何回も繰り返していればその内「当たる」のだ。

長い一日になって来た。
8時を廻って徐々に辺りが暗くなり始めた時でも、道はまだ南を向いて続いている。
「ポスト15」からは大雑把に言って、南に150km行って西に30km行けばポギビだ。
途中燃料補給をしたくらいで、食事も摂らずひたすらポギビを目指す。
各マシンには、行動食&遭難時の非常食としてビスケット1パックとシリアルが1箱、筒入りのプリングルズが1本配られていたので、それらを摘んで空腹を凌ぐ。

時々ウインチングになるので、ビスケットに泥が付いていると、後から口の中で砂がジャリジャリする。

とうとう日付変更線を超えて19日になってしまった。
疲労で「眠気」が襲って来る。

このまま一気にポギビまで進むのか?適当な空き地でテントを張るか?
どちらが冷静な判断なのか段々分からなくなって来た。
そんな時、大きな分岐点に遭遇する。
タイヤ跡を見るが雨のせいも有ってかGAZのタイヤ跡が判然としない。

道は明らかに左が太い。
右はそれまでと同じ幅で森の中へ続いている。
さてどっちへ進んだものか?
「分岐では必ず後続を待つ」というオフロードの鉄則を、日本チーム内は徹底していたが、GAZはひたすらマイペースだ。
ウインチング以外では圧倒的に速度が遅いので、どんどん先に進みたい理屈も分かるが、やはりこうなると痛い。
大きく道を間違うとジープの燃料が足らなくなる可能性も有る。
軽油が入ったドラム缶はGAZの荷台なのだ。
...という所で、長くなり過ぎるので今日はここまで。
タイガ森で繰り広げられた深夜の彷徨話はまた明日の日記でということで。



[アタック期間中に衛星電話で伝えられた速報]

2005/07/19 17:00
昨晩は定時連絡がなかったとの事。
現場の様子が気になる。

留守番隊2名の見解では、「既にパイプライン沿いの廃道に入っていると思われるので電波状態が悪いのであろう」「携帯端末と衛星との見通しが良くない場所に入ってしまっているのであろう」との事。
前回のアタック時にも連絡のつかない日が多々あった。
そういった経験を踏まえての留守番隊の見解を聞いて少し安心出来た。 (M)


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