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2005年07月27日(水)
ZEVEXロシア 第5次調査



この船が毎度お世話になっている東日本海フェリーさんの「アインス宗谷」。
特に今回は泥々のマシン洗車で、クルーの皆様にはかなりのご迷惑をお掛けしてしまった。

[アタック日誌]

「ZEVEXロシア」第5次調査であり、電気自動車レスキューミッションでもあった今回のサハリン行もいよいよ最終日だ。

日本国内の有料コースとは水準が違うハードなオフロードと少数のチーム員。
複雑な通関手続きと休暇一杯でギリギリ組まれたスケジュール。
出発前から厳しい行程が予想はされていたが、マシンも人間もボロボロになり、文字通り「首の皮1枚」で何とか最終日を迎えることになった。

「首の皮1枚」でも乗り切れればそれは「成功」だ。
「失敗」を「失敗」と包み隠さず認めるのだから、「成功」も素直に喜ぼう。
4WDの極限走破「アイアン・バール」で培って来た、これが我々ZEVEXのオフローディングの実力なのだ。
「硬派」を気取って「他人」を騙すことはできても「自分自身」は騙せない。
自分のオフローディングの水準が、本当はどんなレベルに有るのかは「自分自身」だけは知っている。

自分自身に「嘘」をつく必要の無い人生は心豊かで安らかだ。

コルサコフの港を定刻の10時(ロシア夏時間)に発った「アインス宗谷」は、定刻よりやや早い13時20分(日本時間)に稚内港に到着した。
ジープとプラド、そしてぺちゃんこのハイラックスの通関にはそれなりの時間を要したが、日通稚内さんのご尽力も有って、それは「待つ」という程の時間でも無かった。
問題は2月にコンテナでロシアに持ち込んだ電気自動車とその付帯物だ。
これは「その日に通関」という訳にも行かないので、一旦保税倉庫に運び込んでインボイス等の書類造りから開始することになる。

その手続きの為第5次調査チームはここで解散し、谷口社長は空路で千歳へ、小笠原と西村の両隊員はプラドのデフに爆弾を抱えたまま陸路で南下を開始した。
コッシーと鈴木の2名は稚内港前に有る民宿に部屋を取って電気自動車の通関を待つ。

明日(木)・明後日(金)で通関を成功させないと週末を挟んでしまうので、残った2名の休暇も限界を迎える。
「綱渡り」のスケジュールはまだ続いていた。



[アタック期間中に衛星電話で伝えられた速報]

2005/07/27 20:00JST
鈴木・輿石@稚内

アインス宗谷は台風の影響も無く定刻に出航、そして稚内へ到着。
調査隊4人と谷口社長は、無事に国内へと帰国した。

空路で帰宅する谷口社長を稚内空港へ西村・小笠原がプラドで送り、そのまま彼らは自走で帰宅の途に。
鈴木と輿石は、一部機材の通関業務のため稚内に滞在。
いまのところ29日(金)には通関できる見込みなのだが、明日にならないとはっきりしない。
土・日が休みとなるなので、なんとか金曜日には通関して欲しいものだ。 (N)


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