過去のアタック

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2005年07月16日(土)
ZEVEXロシア 第5次調査



J-53がパンク。
そう言えば04年の時もコッシー運転のJ-53のタイヤが交換第一号だったと記憶する。
マシンが変わってもパンクの神様は依然としてコッシーに憑いているようだ。

[アタック日誌]

7時に起床して、キオスクで買っておいた食糧を掻き込んで朝食とする。
駐車場まで歩いてマシンを取りに行って戻って来ると、昨日も取材に来たTV局がまたカメラを担いでホテルの前で待っている。
朝早くからご苦労なことだ。
何でも出発風景を撮影したいらしい。
せっかく取材に来て頂いたので、「ひっぱり系」の装備や、買い込んだ食糧を見せたりしながら少しだけインタビューに応じる。
やはり2月の4X4電気自動車がえらくインパクトが有ったらしく、取材中に何度も電気自動車の話が出る。
ロシア国民のたとえ一人でも二人でも、自動車環境問題を考える切っ掛けになれば嬉しい。
付け加えるなら、昨日の正午のラジオニュースで、我々がサハリンに来ていることが流れたらしく、道行く通勤のおっちゃんも足を止めて取材風景を眺めている。

取材で引っ張られているうちに8時半を過ぎてしまったので出発。
今年は何故か全ての検問所で止められる。
保険が義務付けられたりと何となく今年のサハリンは走り難い。

ただでさえ色々面倒が多いのだから、これ以上ややこしい内容を増やさないで欲しいもんだ。

さて、マカロフでコッシーのジープがパンクしたくらいで、ほぼ予定通りに北上する3台のアタック隊コンボイ。
途中フェリーで一緒だったライダーと再会する。
気ままなサハリン一人旅らしい。オートバイの世界には、こうしたチャレンジ精神を持った人が少なくないのに、何故四駆の世界には居ないのか?
ちょっと切ない。

たいしたオフロードの実績を聞いたこともない人が「硬派」なんてへーキで自称する世界だからか?
「硬派」を謳うならどんな場所を走ったのか経験を明示すべきだろう。

口先だけなら何とでも言える。

夕方になって、北緯51度線に差し掛かる辺りで、ジムニー程の黒い塊がコンボイの前を横切る。
しばしの沈黙を破って西村隊員が無線で「今の熊だよね?」と送って来る。
「デカイ!!」金銭的問題からハンターの同行を断ったのは失敗だったか?

8時半を過ぎて漸くティモフスクのホテルに到着。
「やれやれ」と思って荷物を降ろし始めたところで、通訳が戻って来て「部屋がありまセ〜ン」とのたまう。
「予約入れてるやん!!なんで?」と聞くと、何と翌日に予約を入れていたグレートジャーニーの関野吉晴チームが、予定より1日早くティモフスクに到着して、フロントが同じ日本人チームってことで、我々と関野チームを間違ったらしい。
向こうはフジTVが付いてヘリまで飛ばしているブルジョワ冒険チーム。
我々はマニアの意地と心意気だけで電気自動車でサハリンまでやって来たプロレタリアート冒険チーム。
「予約したのは俺達だ!!」と言っても、既にここはソ連じゃなくてロシア。
プロレタリアートの情熱より「札束」が優先される国なのだ。

かくして関野チームに弾き飛ばされた我々は、蚊がウジャウジャ居るティミ川の川原で野宿することと相成った。 ...が、関野チームの「ドル&円ばら撒き冒険」の実態を思い知ることになるのは、まだ数日後の話。



[アタック期間中に衛星電話で伝えられた速報]

2005/07/16 21:55JST
調査隊@ティモフスク

今朝9時(サハリン時間)にホテル・モネロンを出発。
その様子を、昨日とは別のTV局が取材にきていた。昨日の取材にしても、今朝の取材も、いつ放送されるのはは不明。
ユジノサハリンスクからティモフスクはかなり遠いので、走りづめに走ることになった。その途中でのトラブルは、しいてあげるなら、松之号ジープにタイヤのパンクが1回。これはスペアータイアに交換すると云うオーソドックスな方法で解決させた。
ティモフスクに近づいたあたりで熊に出会った。大きさはSJ-10くらいだろうか。「さすがにサハリンの田舎道」と実感した。
ティモフスクの宿舎に到着したのは午後9時。ダートを12時間も走り続けるとかなり疲れている。
明日からは今まで以上にハードになるはずだから今夜はゆっくりと体を休めようと思っていたら...
なんと、あの関野さんたちのグループとバッティングしてしまった。聞けば、日程が一日早まってティモフスクに到着したのだとか。
あらかじめ予約を入れてあったはずなのに悲しいかな、資本力(?)の違いと云うか人数の違いと云うか、我々がはじき飛ばされ、今夜はキャンプするはめになってしまった。
話題は前後するが、ティモフスク在の運送業者ニコライさんと面会した。
2月のアタックの時にもお世話になった人で、今回もポギビまで同行していただくことになっている。
この先の悪路事情に精通した人の目から見ても、我々の車や装備は問題はないだろうとのこと。一安心。 (O)


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