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2005年07月21日(木)
ZEVEXロシア 第5次調査



「ポスト15」の船着場。
北緯52度以北の西海岸エリアは、サハリン島内だが船を使った大陸との交流が盛んで、社会生活的には大陸本土との繋がりの方が強い。

[アタック日誌]

この日はゆっくり寝るつもりだったが、スペースの問題で私(鈴木)だけがプラドの中で寝たら、朝が寒くて携帯カイロを入れていても耐え切れず、6時に小屋へ避難してペチカに火を起こして暖を取る。
朝の気温は間違いなく1桁台だ。

皆も順次起きて来て、そのままゆっくり朝食を摂って8時前には出発した。

10時過ぎに「ポスト15」の港に着いて、管理人に小屋の鍵を返す。
「本当にポギビまで行って来たのか?」と言うので、荷台のシートをめくって「ARK-1」を見せると、「この黄色い車は冬にTVのニュースで見た」との返事。
この管理人、冬の間はハバロフスク市在住らしいのだが、2月の「4WD電気自動車間宮海峡横断」の冒険が、サハリン島内だけでなく全ロシア的にニュースになっていたことがハッキリした。
まあ、「イタル・タス」通信の記者がユジノのホテルまで来たりしたのだから不思議な話ではない。

問題の岬を廻り込む波打ち際は、干潮ではなかったが危険な程ではなかったので陸地寄りの砂浜を慎重に北上する。
「迷うかな?」と思っていた林道(森の隙間)への入口もすぐに見つかり、いよいよ最後の廃道アタックに突入した。

数本の渡河も連日雨だったにも関わらず水位はほとんど往路と同じで、森が豊かな川に洪水は無い...というのはホンマやな。
と再確認した。
この廃道には3日前に通過した時の我々の轍が残っていた。
往路ではヒルダウンだった坂道が復路はヒルクライムになるわけだが、轍が残っていることで泥の抵抗が予想外に少なく、ジープを牽引して「どうなることか!?」とビビッていたエリアでも意外とペースは落ちなかった。
もちろんウインチングは必須だったが、クラッチを殺してからはダブルを基本としていたJ-53のウインチも、シングルラインで済ます局面が多かった。

往路で昼食を摂った小屋まで我慢できそうもなかったので、この日の昼食は道端でカップラーメン&ライス。
ライスは日本から持ち込んだ暖めるご飯だ。

夕方には最もアップダウンが激しいエリアを通過。
思ったよりは順調だが、心配事がひとつ。
ハイラックスのクラッチの繋がる位置が徐々に手前に変化している。
限界を遥かに超えた負担を抱えて150km以上オフロードを走って来たのだから「さもありなん」だが、ジープの牽引をプラドに引き継げる平坦路へ出る迄ハイラが持つかどうか?
ヒヤヒヤだ。

午後6時。
ネフチェゴルスクの街外れでとうとう平坦路に復帰。
チェーンを外し、ジープの牽引をプラドにスイッチ。
コンボイを連ねてノグリキ方面へ幹線道路を南下。
詳細位置不明な道端の空地にキャンプを設置する。
ここは何処なのだろう?まあ明日の内にティモフスクまで届く位置であることだけは確かだから問題は無い。
留守番隊の大津隊長とインマルサットでの定時連絡を済ませてこの日は早めに就寝。
夕食で食べたポギビで貰ったチョウザメのスープが辛かったのか、夜中にやたら喉が渇いた。



[アタック期間中に衛星電話で伝えられた速報]

2005/07/21 20:16
調査隊@ネフチェゴルフクス近辺

昨日は朝ポギビを出て、往路に使った道をそのまま戻っている。
冬に預かってもらった荷物を受け取ったため、その分の重さも加わったから、往路よりも帰路のほうが、路面の悪さが身にしみる。
もちろんウィンチは大活躍している。
昨日は17時間移動し、幸いにも林道脇に小屋があったので勝手に泊まった。
今日も悪路との戦いを続け、みごとに制覇。
先ほど太い道に出ることができたので、今日のタスクは終了。
もちろん近くには宿舎なんかないので今夜もキャンプだ。
昨夜の小屋はラッキーだったのだ。
現時点でタスクは計画より1日先行している。

明日からの予定は、ティモフスクに到着するのが明日の夕刻。
この時点でも1日先行しているはずだ。
明後日はティモフスクを出発する。
計画ではティモフスクからユジノサハリンスクまで1日で移動するつもりだったのが、ポロナイスクで1泊することに変更された。
ポギビで受け取った荷物は地元運送業者のGAZ(ロシア製のトラック)で運んでもらう。
これの足が遅く、ティモフスク > ユジノサハリンスクを1日では走りきれないからだ。
このことはポギビに向かう前のティモフスクで判っていたこともあって、あの大雨の中で頑張ったのだ。
ポロナイスクで1日遅れる分は既に稼ぎ出せてるので気分は上々。
 (O)


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