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2005年02月16日(水)
EV-4WD間宮海峡ゼロエミッション横断チャレンジ


[アタック日誌]

この朝、関野吉晴氏の遠征隊と分かれた小久保氏、そして後日様々なトラブルを引き起こすこととなるロシア人通訳ワシリーが、サハリン急行でティモフスクからユジノサハリンスクへ戻って来た。
私(鈴木)だけが少し早く起きて、早朝のユジノサハリンスクの駅前でワシリーを捕まえ、昨日買い込んだ食糧とその計画表を見せて意見を聞く。
小久保氏は「モニェロン泊」と聞いていたので、勝手に合流できるだろうと安心していたら「ユーラシアホテル泊」で逢えなかった。
流石予算が潤沢なTV番組の遠征は、金欠電気自動車マニアとは違う。
食糧計画表に対するワシリーの意見は「ゼンゼン足りません」。
それなりに根拠の有る数字に基いているのに...と不思議に感じたが、まあ歩く旅では無いので荷物の重量は気にならない。
後からブツクサ言われるよりは、言われた通りにしておくのがプライド(だけ)は高いこのワシリーを使うには一番なので、朝食を済ませて自由市場に食糧の追加買出しに行った。

何故「ゼンゼン足らない」のかは後日氷点下30度の凍った海の上でその謎が解けることとなる。

午後になってコルサコフの港にコンテナが着いたと連絡が来る。
B/Lでは「ルトガ」という船で来ることになっていたのだが、到着したのは「パイオニア」。
本当にコンテナが載っているのかさえわからないが、急いでタクシーをチャーターしてコルサコフへ向かう。
しかし、貨物船が到着しただけでまだコンテナは降りていないらしい。
仕方が無いので、現地フォワーダーの事務所や税関に挨拶だけしてユジノへ戻る。


自由市場の肉屋(トラックの荷台が店になっている)で、豚肉の脂身を調達する輿石隊員。
なんやかやで肉を10kg近く買ってしまった。



[アタック期間中に衛星電話で伝えられた速報]

02/16(Wed)
先発隊@ユジノ・サハリンスク JST20:010 気温-5℃
天候は晴れ...まだしばらくは崩れそうな気配ナシ。

昨日のうちに買い出しを終え休養している最中に、神戸発のコンテナ便が到着したとの連絡があり、コルサコフに出向き確認。通関は明日一日で済ませる予定。
明後日からユジノサハリンスクを発ち北上開始の予定。
現在のところ、タスクを順調にこなすことができている。
夕刻になって北から戻ってきた小久保氏と合流。
氏からの情報によると、ビアフトゥから海に出て約5kmほどの区間に乱氷帯が広がっていて、かなりハードなアタックになりそうな気配とのこと。
長年鍛えた「困難を乗り越えるためのワザ」の見せ所だ!! (O)


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