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2005年03月07日(月)
EV-4WD間宮海峡ゼロエミッション横断チャレンジ


[アタック日誌]

長かった冒険の旅もチームとしてはいよいよ終盤戦。
総勢9名残った日本人の内、残務に当たる谷口社長と鈴木、このまま再び北へ登る小久保を除く6名がこの朝帰国の途に着いた。
この7日の函館便に遅れると、会社の椅子が危ういメンバーも居たので、天候が良くて一安心だ。

さて、朝帰国組を見送ってしまうと何もすることが無い。
今日、明日とロシアは祝日で役所は全て閉まっているのだ。
5時を3分過ぎても受付けで「帰れ!」と言われるコルサコフの税関も当然お休み。
残務もこれから長丁場になりそうだし、金も無いので、この日の朝飯はキオスクで鶏肉と牛乳を買って部屋で喰って済ます。
10時半に北海道新聞さんを訪問し、お礼方々冒険の顛末を説明する。

夕食後には、実に17日ぶりとなるシャワーを浴びる。
ジャングルを4WDで走っていた頃も、途中で「水浴び」くらいはできたので、「海外で風呂に入らない」最長記録...になった。

でたらめな人生を送っていると、おっさんになってからも色々な「人生初めて」を経験できる。
「素晴らしきかな我が人生」だ。


右から、コッシーこと輿石隊員、野口隊員、森嶋隊員、斉藤隊員、大野カメラマン(rpm films)、鈴木、木野カメラマン(スチール・オフィシャル)、小久保アドバイザー。
このうち小久保と鈴木を除く6名が帰国する。
コッシーと斉藤隊員が布団の如く重い迷彩外套を羽織っている。



[アタック期間中に衛星電話で伝えられた速報]

03/07(Mon)

本日11:30。
アタック本隊のうち谷口・鈴木の2名を除く6名が帰国。
...


今日は北海道新聞サハリン駐在員の方と面会をし、今回の結果とその経緯を報告した。

その時、現地の週間スポーツ新聞にもZEVEXが紹介されていたことが話題となった。
後発隊がサハリンに入った頃のことで、現在アタック中という内容だったらしい。
現地のテレビや新聞でも扱われたことを知り、アタック断念が悔やまれる。
その半面、現地に迷惑をかけるようなことを避けるためと云う判断が誤りでなかったと確信した。
ロシアでは今日明日が祝日なので税関もお休み。
ARK-1を残置した事情を説明し所定の手続きをしようにも明後日になってしまう。  (O)


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