過去のアタック

2005年02月14日(月) 2005年02月15日(火) 2005年02月16日(水) 2005年02月17日(木) 2005年02月18日(金)
2005年02月19日(土) 2005年02月20日(日) 2005年02月21日(月) 2005年02月22日(火) 2005年02月23日(水)
2005年02月24日(木) 2005年02月25日(金) 2005年02月26日(土) 2005年02月27日(日) 2005年02月28日(月)
2005年03月01日(火) 2005年03月02日(水) 2005年03月03日(木) 2005年03月04日(金) 2005年03月05日(土)
2005年03月06日(日) 2005年03月07日(月) 2005年03月08日(火) 2005年03月09日(水) 2005年03月10日(木)
2005年03月11日(金) 2005年03月12日(土) 2005年03月13日(日) 2005年03月14日(月) 2005年03月15日(火)
2005年03月16日(水) 2005年03月17日(木) 2005年03月18日(金)


2005年02月17日(木)
EV-4WD間宮海峡ゼロエミッション横断チャレンジ


[アタック日誌]

朝8時半、モニェロン前に集合してチャータータクシーでコルサコフへ向かう。
仮に電気自動車と装備一式がちゃんと到着しているのならば、この日の内にユジノまでは運んでしまうつもりで、EVジムニーを載せるトラックもタクシーと合流してコルサコフへ向かう...予定だったが、トラックが待ち合わせ場所に来ない。
朝の寒さで燃料フィルターが詰まってエンジンが始動しないらしい。
よくあることらしくロシア側は誰も騒がない。
結局1時間くらい遅れてコルサコフへ到着した。
そりと人員を運んでもらうダットラ(夏のツーリング時と同じダットラ)は既に到着していた。

野口隊員・輿石隊員はフォワーダー事務所とおぼしき建物の中で待たせてもらい、谷口社長と私(鈴木)だけが税関へ向かう。
正午前、税関職員立会いの下で漸くコンテナを開封。
破損等かなり心配していたが、神戸港で荷詰めしたままの状態で安心した。

カフェで昼食を済ませ、フォワーダー倉庫と税関を行ったり来たりしている間に時間はどんどん過ぎる。
2時前には北海道新聞さんと地元TV局取材班が到着し、遅々として進まない手続きの合間を縫って取材を受ける。
この書類にハンコを受ければ終了...というところまで来て時間は5時3分。
税関にハンコを貰いに向かい、同伴した職員が口添えしても、受付けの職員はガンとして応ぜず5分遅れで手続きは翌日廻しとなる。
流石ロシアだ。
でもマシンの無事が分かっただけもで大満足だ。

ユジノに戻って夜7時半。
夕食の為に「モニェロン」を出た路上で小久保氏と偶然遭遇。
一緒にインド料理を食べながら関野氏の遠征中に見た現地情報を確認する。
やはりムガチからビアフトゥまでの積雪の多い林道とビアフトゥからポギビまでの海上移動が最大の問題のようだ。


チャータータクシーの前で、左から野口隊員・私(鈴木)・輿石隊員。
左ハンドル超々ロングホイールベース5列シートの韓国マシンだ。



[アタック期間中に衛星電話で伝えられた速報]

02/17(Thu)
先発隊@ユジノ・サハリンクス JST20:04 気温-15℃
今日の天候は晴れときどき曇り。
日中の気温は-10℃程度。 

朝からコルサコフへ出向きコンテナの内容物を確認。
車両に傷が付くこともなく、物資の欠品も一切なかった。
いざ通関だ。
ところがいくつもの窓口を回されたことで、通関完了したのが午後5時の約3分前。
午後5時を過ぎるとゲートから出すことが許されないため、ARK-1は保税倉庫に今夜も一泊することになってしまった。
明日は、朝一番にコルサコフで車両を受け取り、トラック便でポロナイスクへ向かう予定。
当初の計画に対して若干遅れてはいるが、まあまあ順調。 (O)


TOP