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2005年02月25日(金)
EV-4WD間宮海峡ゼロエミッション横断チャレンジ


[アタック日誌/先発隊]

いよいよこの冒険の趨勢を決定付けた4日間が始まった。

早朝にバロージャ宅を出発し、海岸線へ出て発電機に給油を施して再始動を試みるも予想通りウンともスンとも言わない。
気温が氷点下20度近いので、ガソリンが気化できていない感じで初爆も無い。
日中になって、もう少し気温が上がらないと駄目だ。

そんなこんなしている内にワシリーが「早く出発しろ」と騒ぎ出す。

このオッサン、昨晩スノモチームのメンバーと野営したのは良いが、何をしたのかこのオッサンと一緒に居たロシア人が一人燃えていた!?
防寒着のお陰でたいした火傷も無い様子だったが、全身真っ黒の煤だらけで、おまけにただでさえショポいテントを焦がして穴まで開けてくれている。
よく焼け死ななかったもんだが、他のスノモチームのメンバーはシラ〜っとした雰囲気だ。
流石ロシア、人の生死は日常なのか?
まあ、いきなり死なれてもゲンが悪いので助かって良かった。

発電機の手当ても必要だったが、最悪でも後発隊の制限時間である明後日の昼までにはポギビへ到着したかったので、とにかくオプティマに溜まった電力だけで進めるところまで進んでみることにした。

...が、吹き溜まりの状況は一層悪く、そりが負担となってスタックを繰り返し、電力の残量もどんどん少なくなって行く。
スタック〜牽引〜スタック〜牽引を繰り返している内、痺れを切らしたバロージャが、ARK-1とそりを切り離して牽引させろと言い出した。

助手席のリチウムイオンに入っている、丸松建設さんのゼファー風車から充電した天然電気をここで使う訳には行かないので、全く駆動トルクの無い状態での牽引になるが、ゴチャゴチャ話し合っている時間も勿体無いし、間も無く電欠にな るのも目に見えているので、そりとARK-1を切り離しての牽引に合意した。

スノモでの完全牽引体制になってからの前進は順調で、13時半には第一の目標地点だった「ティク岬」の灯台横まで到達した。
約25km程進んだことになる。

この調子なら今日中にラフ湾を越えられるかも?と期待したのもつかの間。
バロージャが「今日はここまで」と言う。
更にはスノモの負担が大きいということで法外な追加料金を要求して来た。
条件を飲まなければ、旅はここで終わりだと言い出す始末。

ワシリーに「何とかしろ」と言うが、こちらの話をまるでロシア側に伝えない。
逆に「ロシア側は小屋が無いと寝る場所が無い」とか「スノモの部品は高い」とかロシア側の話ばかりを日本側に伝えて来る。
とにかく日本側はバロージャと契約した訳では無いのだから、この状況を衛星電話で本社に伝えて社長に交渉させろと伝える。

結局この状況で我々日本側に「NO」という選択肢は無かった。
仮にビアフトゥに戻るにしても発電機の再始動が可能かどうかはわからないし、ポギビまでは後100kmを切っていた。

話としては実に簡単で、スノモ隊が「ボッタクリ」に化けたのだ。
...が、別にカラシニコフを突き付けられたわけでも無く、最低限の平和は保たれていた。
ビジネス的な「契約」という概念が日本とは違うのも一因だ。

一番の誤算は、本来日本側の立場に立って交渉するべき通訳のワシリーが、ロシア側に寝返った事実だ。
このオッサンとは第3次・第4次調査で共に活動をしたが、現場業者とツルんでキックバックをもらったりするタイプでは無いと思っていたが、私に人を見る目が無かったってことなのだろうか?


スタックを繰り返すARK-1とそりを前進させる方法を相談する。
右端にはスコップを持った輿石隊員が見える。



[アタック日誌/後発隊]

後発隊:「サラリーマンオフローダーにも冒険を」をコンセプトに冒険の佳境部分だけに参加する別働隊。
今回はチャーター機でポギビ入りし、大陸側へ抜けてウラジオストクから帰国した。


移動中の列車の中で計画の最終調整を行う後発隊。

[アタック期間中に衛星電話で伝えられた速報]

02/25(Fri)
先発隊@ビアフトゥ JST20:30 天候=晴れ

まずは昨日の報告から。
吹雪の中を出発したが、あまりにも雪が深い。
ARK-1をスノーモービルで牽引しながらの移動になった。
昨夜はその寒い中でテントを張って野営した。
空中状態も悪かったため昨日は定時連絡できず、もうしわけない。

今日の状況。
やっと天候が回復し始めたが、積雪が深いことにかわりはない。
吹きだまりの雪やその下のデコボコに難儀させられたのは昨日と同じだ。
現在地はポギビ南約80km。
岬の先端に猟師小屋があり、ここが今夜の宿舎になる。
空はすっかり晴れている。
昨夜の寒さに比べれば、今夜の寝床は暖かいぞ。

さて、明日の見込みは...
最大の難所もあと20kmくらいで終わる。
その先は氷結海上を行く。
しかし氷の上もかなりハードなはずだ。
明日中にポギビまで着けるだろうだろうか?
日程は押し詰まって来ている。
最大の努力はするが、ポギビ到着は明後日になるかもしれない。



後発隊@ユジノサハリンスク JST15:40

後発隊は今日が出発の日。
全員無事サハリンに到着した。
これから夜行鉄道でティモフスクへ向かう。 (O)


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