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[アタック日誌/先発隊] 前夜は寝不足でフラフラだったので、カロリーメイトとサーモスのお湯をテントの中で腹に流し込んで早々に寝た。 お陰で早朝から便意をもよおして「雷鳥撃ち」に行くが、今回の冒険中、この朝が一番気温が下がっていたと思う。 ARK-1に取り付けた温度計はマイナス30度までしか無かったのだが、アルコールは目盛りを振り切って底の丸い部分に落ちてしまっていたので、正確な気温は分からない。 が、「雷鳥撃ち」の間、手を防寒ブーツのベロの部分に突っ込んでいても、左手の指先が軽い凍傷になった(まあ昨日の影響も有ると思うが)。 昨日の日誌にも有るように、朝になってARK-1のはまった割れ目から海水が染み出していることを発見。 風が出たりするとバックリ割れる可能性も有るので、朝からレスキュー作業を始める。 アイアン・バールで散々鍛えたこの手の作業だが、限られた道具、慣れない環境で行うのは、容易なことではなかった。 スペアタイヤアンカーはすぐ下が氷で深さが取れないし、アイスハーケンを打ち込む程雪が浅くは無い。 結局スペアタイヤアンカーでまずそりを動かし、そのそりをわざとスタックさせてWアンカーを作ってARK-1を牽引した。 作戦通りにバッチリ決まって、極限オフローダーの面目躍如と言ったところだった。 昼前になって、この日はバロージャではなくて番頭格のニコライがスノモでやって来て私を集金の為にポギビへ連れて行くことになった。 とにかく「金・金・カネ」だ。 現在地からポギビまでは10数km。 「今日は着くよな?」とワシリーに確認させるが「嵐が来たらわかりません」とかボケた話をする。 ムカツクので深く話は聞かないことにする。 我々に取って「今日中に着く」と思える安心材料は、この日の民家からポギビの間には、寝袋を持たないバロージャ達が寝られる施設が無いことだ。 民家を出た以上、ポギビの小屋へ着くしか無いのである。 行動開始は15時前。 食糧等を積んだそりと発電機のそりは残して、ARK-1を先にポギビに運ぶ。 17時。 予定ではポギビ湾の一番ラザレフに近い位置にARK-1を置いてもらうつもりだったのだが、アーもウーも無く、吹き溜まりを越えて湾の一番奥まで連れて来られてしまった。 思った位置に動かせとか言うと、また別料金を取られそうなので諦めることにした。 その後20時を廻ったところで、漸く残りの荷物が到着。 1泊2日が4泊5日も掛かったが、何とか間宮海峡横断の村ポギビに到着することができた。 ![]() スペアタイヤアンカーとARK-1を結ぶ線上にそりを動かし、Wアンカーを作る先発隊。 チルを引くのは輿石隊員だ。 「ひっぱり系」の意地でレスキュー成功! [アタック日誌/後発隊] 後発隊:「サラリーマンオフローダーにも冒険を」をコンセプトに冒険の佳境部分だけに参加する別働隊。 今回はチャーター機でポギビ入りし、大陸側へ抜けてウラジオストクから帰国した。 ![]() ![]() 後発隊は予定より滞在日数を延ばしたものの、結局先発隊との合流を果たせず、やむなく徒歩横断にてポキビを去る事となった。 天候にも恵まれ、トラブルもなく順調に横断を果たす。 [アタック期間中に衛星電話で伝えられた速報] 02/28(Mon) 本日の定時連絡は有りませんでした こちらから現地の衛星電話(インマルサット)にかけても、回線状態が悪いせいか、「しばらくたってからお掛け直しください」との英語アナウンスが流れるだけで繋がりませんでした。 (N) |