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2005年03月10日(木)
EV-4WD間宮海峡ゼロエミッション横断チャレンジ


[アタック日誌]

朝8時半。
ワシリーが迎えに来て再びコルサコフの税関へ。
ビザが明日までしか無いので、今日勝負を決められなければビザを延長するしか無い。
小久保さんは延長に6万円払っていた。
...が、今現在ビザの延長の為に6万円を払う余裕は無い。
コルサコフの税関に到着。
流石に今日は門前払いということは無かったが、すったもんんだした挙句、ワシリーが持って来た話によるとEV本体以外の付属設備だけの関税が200万円!!EVはもう少し高くなるだろう...との話。
全部で400万円超ってことだ。

元値150円の車の関税が何で400万円なんだ!?
ともかく話しにならないので、この日は引き上げて法的根拠を確認する為ユジノの日本領事館にロシア連邦の関税システムについて聞きに行く。

とにかくまずはビザの延長だ。
領事館でビザの延長に必用な金が無い旨相談すると、2000円くらいで可能なハズ...との見解。
2000円と6万円じゃあ30倍も違う。 さすが不思議の国ロシア。
でも小久保さんは確かに6万円払っていた。
どうなってるんだ?

いよいよ怪しげな展開になって来たので、谷口社長が何とか明日の便で帰国できる手段を考える。
谷口社長には無事に帰国してもらわないと日本のジムニーマニアが怒る。
私が無事に帰国すると「残念〜!!」と言う声が業界関係者から沸き起こる。
「おこる」違いでここは私が残るべきと判断した。

その為、ロシアの公証役場で谷口社長から私に法的効果を持つ委任状を作ってもらった。
この日の晩御飯は「豊原」へ食べに行ってビールで気合を入れ直した。


晩御飯を食べに行った「豊原」の入り口。 このドアの奥左側に店が有る。
オーナーの一ノ関さんは、我々の窮状を知って色々と心配して下さった。



[アタック期間中に衛星電話で伝えられた速報]

03/10 (Thu)

残務組@ユジノサハリンスク 21:44JST

税関での手続きが煩雑でマイッタ
昨日までの腹づもりでは、現地の旅行会社に税関の手続きを任せ、明日には帰国するつもりでいたが、現地ロシア人に委任することができないと判明。
その事情をロシア人通訳が上手く説明できないため、ユジノサハリンスクの日本領事館で相談してきた。
その回答は明日以降。
手続きはそれからになる。
まだサハリンに残らざるを得ないことになってしまった。
幸い(?)2名も必要ないので、谷口社長は明日帰国。
鈴木がサハリンに残り残務を受け継ぐことにした。
そのような事情で、鈴木の帰国日程は不明。
ハッキリしていることは、ビザの延長期限が最長で10日間。
つまりそれまでには出国しなければならないことだけだ。
その間に手続きが完了することを願って止まない。

暗い話題ばかりではない。
今夜19時(現地時刻)に地元TV局のニュースに出た。
ARK-1をコルサコフで通関しているとき取材に来て、それを全国に放送したあのTV局だ。
内容はアタック隊のその後の結果。
正味3〜4分間。
我らの活動が現地の人々に知られることを期待したい。  (O)



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