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2005年02月18日(金)
EV-4WD間宮海峡ゼロエミッション横断チャレンジ


[アタック日誌]

朝8時に「モニェロン」前に集合して、タクシーでコルサコフへ向かう。
税関で最後の一個のハンコを貰って、いよいよARK-1をトラックに積み込む。
前夜は倉庫で保管しておいてもらったARK-1を人力で押して広場に出し、スロープを架けてチルで引いて積載する。
前年の調査でトラック荷台の寸法は計測してあったので、ドンピシャで思った通りの位置に収まる。

13時、足の遅いトラックより先にモニェロンに戻った先発隊は、チェックアウトを済ませてユジノの郊外でトラックと待ち合わせる。

タクシーに満載した荷物を慌しくトラックに移し、カバーを掛けてタイダウンで締める。
ワシリーが意味も無く急かせるので、せっかく買った滑車を積み忘れてしまった。

4名の日本人はダットラに、ワシリーはトラックの助手席に乗っていよいよ北を目指す。
流氷に埋まったオホーツク海が素晴らしく美しい。
第2次調査の時はここの通過は夜だったので、この美しい風景を見るのは私も始めてだった。
スケジュールより1日遅れだが、一番読めなかったのがこの通関手続きだったので、まあ順調と言えるだろう。

23時ポロナイスクのホテル「セーベル」に到着。
4人部屋だった。
近くの体育館の温度計はマイナス21度を表示している。
交替で当分チャンスが無いであろうシャワーを浴びて就寝。


海峡アタック用四輪駆動EV(ARK-1)はトラックに、そりはダットラの荷台に積み込まれた。
ダットラのドライバーとは夏のツーリングでも一緒だったので仲良しだ。



[アタック期間中に衛星電話で伝えられた速報]

02/18(Fri)

JST 11:02 先発隊@ユジノサハリンスク郊外

物資を受け取り、トラックに積み込み北上を開始。
当初の計画から見れば1日遅れてはいるものの、ゆとりあるタイムスケジュールなので心配無用。
さぁ、これから本格的な冒険が始まる。
今夜の宿営地はポロナイスクの予定。


JST 14:55 @ドリンスク

北上を続ける途上、ドリンスクで遅い昼食を済ませ、これからまた北上を続ける。
このあたりまでは舗装路なので除雪されてはいるが、レストラン脇の路肩には約1m程度の積雪がある。
この先の非舗装路にはかなりの積雪があると云うが、具体的にどの程度なのかは不明。


JST 18:25 @ポロナイスク手前20〜30km

なんと、このあたりでも国際ローミングが通じる。(驚)
油田開発のため諸外国(ロシアから見て)から多くの人々が入っているおかげか。
うまくすると、ティモフスクでもOKかもしれない。
現在の状況は、トラックはどうしても足が遅く、人員輸送車が先行しているため、トラック待ちをしている。


JST 20:25 @ポロナイスク手前5〜10km
気温は夜になって-20℃、天候は朝から晴れ。

トラック便の足が遅いため、待ち時間が意外と長かったが、やっと追いつき、いまカフェで軽食を済ませ終えたところ。
これからポロナイスクに向かう。 (O)


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