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[アタック日誌] 何時に飛行機が来るか(もしくは来ないか?)が分からないので、朝8時には全員起床して朝食を済ませる。 あれだけ買い込んだ食糧もほとんど無くなった。 もし飛行機が来なければ非常食で喰い繋ぐことになる。 朝食後食堂を徹底的に清掃。 薄緑色の窓枠から見えるタイガの風景もきっと一生覚えているだろう。 濃厚な時間を過ごした光景は思い出となってもなかなか色褪せることが無い。 そんな思い出が人生を豊かなものにしてくれるように私は思う。 その意味で、思い出がいっぱい得られた今回の冒険は、やはり素晴らしい挑戦だった。 他人が何と言おうと額に汗した者にとってはそうなのだ。 11時15分、飛行機がやって来た。 村の上を一回り旋廻して到着を告げて、村外れの飛行場へ向かって降りて行く。 我々は母屋の親父さんのスノモに乗せてもらって飛行場に急ぐ。 いよいよポギビの村ともお別れだ、押さえ切れずに顔を出した、僅かに残った悔しさと「必ず再挑戦する」という固い決意を積んで飛行機は飛び立った。 高度を上げて行くにしたがって、吹き溜まりと格闘した海峡の向こうにラザレフの街が視界に入って来る。 近くて遠いユーラシア大陸の街だった。 ティモフスクの飛行場には新旧のデリカ2台が迎えに来てくれていた。 既に昼は過ぎていたが、この日の内に強引にユジノまで走る。 深夜の到着が予想されたが、モニェロンに到着したのは10時半。 無事の生還を祝って、皆で軽く乾杯だけして泥のように眠った。 ![]() 空港までは母屋の親父さんのスノモで送ってもらった。 ロシアのスノモはそりが1本でキャタが2本だ。 ![]() 悔しくないと言えば嘘になるが、既に残務処理の戦略で頭が一杯のアイアン・バール鈴木。 ![]() チャーターしたのはターボプロップでも何でもない普通のプロペラの飛行機。 何と複葉機だ。 [アタック期間中に衛星電話で伝えられた速報] 03/05(Sat) アタック本隊@15:30:JST 2/27の夕方ころから衛星電話の電源電池に不具合が出始め、翌日にはほとんど使えない状態になり密な連絡が取れなくなってしまった。 さぞや心配をだったでしょうが、アタック隊は全員無事。 ここまでで電話が切れ以後不通。 (O) |